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観たいぞパラリンピック。

昨日は、今年六回目の猛暑日だった東京です。昨日は、那覇より札幌の方が暑かったそうです。ひえ〜。暑いのにひえ〜とは、これいかに。

ロンドンパラリンピックが開幕しました。すごく楽しみにしていたのに、テレビ中継がほとんどないことにがっかりしています。

ゴールボールやボッチャなど知らない競技や、知っていても競技方法の違うものがたくさんあるのに。それを知る絶好の機会なのに。ネットには、パラリンピックスポーツTVというのがあるらしいのですが、まだ観ていません。

あぁ、応援したいなぁ。開会式は、ダイジェストを観ました。なんと、空から聖火ランナーがやってきてました。

パラリンピックの選手たちは、英国ではスーパーヒューマンと呼ばれるそうです。スーパーなプレイをみたいなぁ。みたいなぁ。


今日も、どうぞお元気で。


今日も、ありがとう。

岡田達也くんの本。

真夏の東京です。

本を頂いた。『達也汁』。岡田達也くんと対談をやったら一冊くれた。焼肉をご馳走してくれると言っていたのに。

夕べ、ちょっと読もうと開いたら、字が小さくてリーディンググラスつまり老眼鏡を使わないと大変な感じだった。

だから、いま『達也汁』の上には老眼鏡が置いてある。ちょっとオシャレな表紙に老眼鏡。その風景が、ちょっと気に入った。妙にしっくりしている。

ブログをちょちょっとまとめたくらいを想像していたが、本人が自分の日記にひとつひとつコメントを加えたりしていて、何人かの寄稿文が載っていたりして、読みごたえがある。老眼鏡が必要なのが、唯一の難点だが。

なにやら通信販売もしているらしい。著者が自分で発送しているらしい。ビールでも飲みながら読むのにぴったりな一冊だと思われる。それ以上でも以下でもない気がする。もしかしたら、岡田達也という役者に会いたくなるかもしれない。ならないかもしれない。


今日も、どうぞお元気で。


今日も、ありがとう。


冷やし中華。

やや雲の多い東京です。

冷やし中華を作ろうと茹でた麺が、ザルにあける時に、何本かお鍋にひっついちゃった。それをしばらく放っておいたら、今度は固くなって取れそうにない。「あ〜、くっついちゃった」

こんな時、僕はあわててゴシゴシやる派だ。今日も、そうだった。

すると家内が一言「お水に浸けとけば、いいんじゃない」

「楽観的だな〜」と冗談のつもりで言うと、「いつもそうしてるもん」

それが、ひっついちゃった麺のことなのか、楽観的なことなのか、答えの意図を瞬間見失った。

しばらくお水に浸けた固い麺は、いとも簡単に取れてしまった。楽観的が勝ちました、と僕は思った。


なんでもかんでも自分で決めてやることだけが、人生じゃない。全部人任せもなのもどうかと思うが、「こんなのは簡単なことだ」と思っている時ほど、思いしない穴にはまることもあるだろう。

口にしなかったり、人に訊いたりしないことで、遠回りをしていることも、
たくさんあるに違いない。正解じゃなくても、おもしろい答えはいっぱいあるに違いない。

手際が良いことが、よりおもしろいとは限らない。近道ばかりは、つまらない。


今日も、どうぞお元気で。


今日も、ありがとう。

僕らの希望。

昨日は、今年五回目の猛暑日だった東京です。もっとあるかと思ってました。

水道の蛇口をひねったら、正しくは棒みたいのを上にあげたらとってもあったかいお水が出てきた。

「暑さは、ここにまで及んでいるのか!!」なんてちょっとびっくりしていたのですが、あとで考えたら、印の赤い方に棒を回していたことに気がつきました。ただ、お湯を出していただけだったのですね。

もうすぐロンドンパラリンピックが開幕します。昨日のテレビで、車イスの男子バスケットボールの日本代表選手を特集していて、やっとルールが解りました。

試合中に車イスが転んでしまっても、
誰も助けてくれないし、試合も止まったりしないのだそうです。肉体的にも精神的にも、オリンピック競技と変わらないトップアスリートの闘いが、そこにはありました。

夢。もっと早く走りたいとか、もっと強くなりたいとか、もっと高く、もっと遠くへ、もっと自由に、もっと自在に、もっともっと。もう少しだけ。

そうして日々努力を重ねているたくさんの選手たち。その中で、ほんの一握りの人間たちの競技大会が始まります。

オリンピックと違うのは、たぶん、そこに出場している誰もが、いわゆる不自由な状態から競技を始めただろうということです。

足の早い子供じゃなくて、ボール扱いの上手な子供じゃなくて、できないことを、少しだけできるように、もっとできるように、もっともっと。

希望の種は、自分で蒔くもの。
その芽も、自分で育てるもの。
ただ、お日様やお水や肥料がないと、それらは大きく育ちません。

だから、ひとりでおおきくなるわけじゃない。ひとりで咲くわけじゃない。



今日も、どうぞお元気で。


今日も、ありがとう。

夏休みの終わりに。

日が沈んでしばらく経つと、あれ?涼しいね、と思う東京です。

ニュースで小学校の始業式の風景を流していた。
子供達たちが、みんなみんな真っ黒に日焼けしていた。
画面で見る限り、白いなぁと思う子はいなかった。
この夏、彼らは、どんな思い出を作ったのだろう。

小学生だった夏休み。
記憶に残っている風景。

遊びに行きたいけれど、宿題は涼しいうちにという学校の教えを守っているのか、誰も外に出ていない午前中。

やってた遊びに飽きるごとに「ヒマだ、ヒマだ」とグダグダしてた昼間。

夕方、野球やフットベースが佳境な頃に「ご飯だよ」と父が迎えに来て、みんなの中で必ず一番最初に帰っていたこと。そのくせ、恥ずかしかったのか、父と一緒に帰ったことはなかったこと。

工作の宿題を、どうにも自分で考えることができずに、母が怒りながらも作ってくれたこと。休み明けに展示されたものを見たら、どっから見ても大人がこしらえたように見えて、いたたまれなかったこと。

縁側の縁台、風鈴の音色、おいしかったスイカ、麦茶に砂糖を入れて飲んだこと。

今は、どれもしていない。

この夏のことを、僕はいつまで覚えていられるだろうか。




今日も、どうぞお元気で。


今日も、ありがとう。

ゆめ。

八月最後の日曜日、真夏の東京です。

朝起きると、身体が凝っている。夢の中でお芝居を作っている夢を毎日のように見ているらしい。

起きると内容は、忘れてしまっている。
けれど、
なんだか一生懸命稽古している。
何ができるのか分からずにやっている。

アリンコが巣穴を掘るためにただひたすらに土を運んでいるように。
失敗とか
成功とか、
関係なくただ何日も夢の中で稽古している。

たまには、舞台でもやっている。
でも、本当にほとんど覚えていない。

たまに、台本にないようなことを喋っている場面もある。そいういうとこだけ、かすかに記憶に残っている。

夢は、
現実でやれなかったことを補完するという。僕は、お芝居がやりたいのだろうか。それとも、じきに始まる稽古への緊張なのだろうか。実際に稽古が始まってしまえば、
もう見ない気がする。

やっぱり、気だけが先走っているのか。

何かを作りたい。
生み出したい。
という欲はあるのだろう。

他の人の作品を見るたびに、
その過程をそうぞして、
達成感や充実感を羨ましく思う。
自分にもできるかもしれないと、
願望する。妄想する。

そして同時に、
もう決して作れないような気もしてくる。

やはり焦りだろうか。
じれているのだろうか。

コツコツと石を積み上げるような
ことをしたいのかもしれない。
少しずつ積み重なっている様を見たいだけなのかもしれない。

そうして、安心したいだけかも。
少しだけ満足に浸りたいのかもしれない。

ちっちゃい自分と、
でっかくなりたい自分で、
行ったり来たりしている。

花が咲いたり、
雲が流れたり、
風が吹いたり、
星が瞬いたりしているのを、
見ていると気が休まるのは、
自分のことを忘れられるからかもしれない。



今日も、どうぞお元気で。


今日も、ありがとう。

ラ・マンチャの男。

真夏の東京です。

我は勇みて行かん。『ラ・マンチャの男』の歌だ。松本幸四郎さんは、昭和44年から43年間も主役を演じてきた。と、夕べのテレビで観た。

初めて観た時の衝撃は、忘れられない。主人公の強い決意と意思に、演劇の端っこで生きている身を、鞭で打たれた気がした。

眠ったように生きていてはだめだ。

演劇も、ひとつの闘いであり、ひとつの武器になり得るのだと、やっとやっとやっと教えていただいた。僕にだって闘う時が来るかもしれないのだと。

小学四年の時、地球と世界と日本の違いが分からないのだと父に話したら、すぐに文房具屋さんに連れていかれて、地球儀を買ってくれた。それで分かった、全部ひとつじゃないかと。そして更に分からなくなった。なぜ、国と国とで戦争をするのか?みんなひとつなのに。

わかったことが、ひとつだけある。

人は、すぐに忘れちゃうんだ。教科書に書かれているような昔々のことは覚えていても、自分や自分の親が産まれるちょっと前くらいのことは忘れちゃう。そんな前のことは、知らないよって。産まれてないから知らないよって。それより忙しいんだよって。

おんなじこと、何度も何度もやってきたのに。生きてる人が語り継ぐしかないのに。

大人になって、みんなが忘れないように闘ってる人がたくさんいるのを知った。みんなに分かるように、みんなが興味を持てるように。

その中に演劇もあった。

幸四郎さんが43年間続けていることは、誰にも真似ができないだろう。でも、誰かがやらなくちゃならないことなんだろう。一生を費やして。あっという間の人生を使って。

その生き様に、胸をうたれる。

命の使い方に、胸がふるえる。



今日も、どうぞお元気で。

今日も、ありがとう。

根っこっこ。

快晴の香川です。


厨房から聴こえるお皿や食器のガチャガチャいう音が、好きだ。子供の頃、寝床で聴いた台所の音を思い出すからかもしれない。

ご飯の炊けた匂い。お味噌汁の香り。そして、包丁のトントントン。

たぶん、今日もご飯が食べられる、今日も自分が守られているという安心感だったのだろう。

実家のご飯の話を教えてもらうのが、好きだ。どんなご飯をいただいていたのか、どんな食べかたをしていたのかは、その人の根っこを知るような気がする。

根っこの記憶は、忘れたようで残っている。ある日、むくむく芽が出てきたりする。

そんな時、びっくりするけどちょっぴりうれしい。育ててもらった思い出が、あふれてくるから。家族が、そこにいるから。


今日も、どうぞお元気で。


今日も、ありがとう。

あたま。

真夏の香川に来ています。処暑なのに、まだまだ暑い。

マンチェスターユナイテッドの香川じゃなくて、四国の香川。うどん県と呼ばれているらしい。讃岐うどんですね。徳島、愛媛、高知には、行ったことがあったのですが、香川は初めて来ました。

香川の高松からは神戸までフェリーが航行している。神戸では『アルジャーノンに花束を』が、あと二日で終了。何事にも必ず終わりが来るものですが、終りのない終りを感じていただけるお芝居だと思っています。

瀬戸内海の風景は、あまりなじみがない。うず潮は、見たことがあるが、移動するバスの中からだった。淡路島へ遊びに行ったことがあったが、海岸から海を眺めるくらいで、海に入ったりはしなかった。

「二十四の瞳」、瀬戸の花嫁、「瀬戸内少年野球団」、「八日目の蝉」、「世界の中心で愛をさけぶ」
、大林宣彦監督の尾道三部作、朝ドラ「てっぱん」、岡村さんのリトルダディ…。瀬戸内では、物語もたくさん生まれたらしい。

海のないサイタマ生まれで、泳ぎの得意でない僕には、穏やかなイメージのある瀬戸内は、憧れの存在だ。

そんなことを考えながら歩いていたら、戸をくぐろうとした時に頭をぶつけた。しこたまぶつけた。あたまたまたましこたまぶつけた。しこふんじゃった。…あ〜いたい。頭上注意。


今日も、どうぞお元気で。


今日も、ありがとう。


ブータン。

真夏の日本、昨日は沖縄と稚内の最高気温が同じだったそうです。

ブータンいいとこだな。

鶴瓶さんの番組で観ました。

ちっちゃい子も自然に英語で日本人と会話をしてるのが、びっくりした。

なんだろう、外国人を受け入れるのが当たり前のようだった。「来てくれてありがとう」って精神がみんなに宿っている。

そして、みんなお顔がよかった。

心は、お顔に出るね。

鶴瓶さんの番組は、いろんな人の心がちゃんと出ている。だから、好きなんだな。だから、普通の人が輝いて見えるんだな。


今日も、どうぞお元気で。


今日も、ありがとう。


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