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心はコピーできない。

昨日は、日が暮れてもムンムンしていた東京です。

『広くてすてきな宇宙じゃないか』の稽古が終わった。最終日は、3チーム合同の通し稽古。ほぼ初めて他のチームを観た。

三人のおばあちゃん、三人のクリコ、三人のスギエとカシオ。そして、同じ物語の、三つの違う世界。みんな違って、みんな愛おしい。最初に作られてから20年経って、初めてこの作品を客席から観た。

人は、どれだけ憧れても、他人の人生を送ることはできない。お芝居だって、それは同じだ。たとえ同じ物語でも、同じ人生にはならない。生きている人の心が違うからだ。

どんなにモノマネが上手でも、心まで真似ることはできないだろう。どんなに美しい人に憧れても、心の美しさは、違った形で表れるだろう。独自の美しさで。

周りをよく見て、自分をよく感じて。誰もがそう言うが、そいつがなかなかできない。見ているようで見ていない、感じているようで勘違いしている。どれだけ意識を凝らしても、やっぱり漠然としか生きられない。漠然と。思い込みが優位に立ってしまう。

結局、分かったようで分かっちゃいないんだと、言い聞かせるしかないのだろう。

『広くてすてきな宇宙じゃないか』のチームは、三つあるけれど、物語は一緒。昨日他のチームを観たことが、きっと大きな変化を生むことだろう。
伝え合って響き合って、僕らは生きているのだから。



今日も、どうぞお元気で。

今日も、ありがとう。










親の心。

朝顔のつるは、横にも伸びるのか?東京です。

我が家の朝顔は、ほぼ毎日花を咲かせてくれている。多い時は、五つも六つも。

まだ花の咲かない頃に、つるが長くなってきて、もはや上には巻きつく棒を延長できなくなった。そこで、横向きにひもを張ってみた。ところが、朝顔は一向に見向きもしない。

張り方がピンとしていなかったので、ひもは、風に吹かれて揺れていた。そのせいかと思い、少し巻きつく手伝いをしたもしたが、ダメだった。

結局、伸びたつるはつる同士で絡みついてしまった。うまくガイドしてあげられなかったので、その後を心配していたが、それでも元気に育ってくれた。

種から朝顔を育てたのは小学生以来だったので、とても楽しかった。2012年は、確かに朝顔の夏だった。

朝顔ですら、成長がこんなに嬉しいのだから、我が子の成長は、やはり格別だろうと想像する。想像は、所詮想像でしかないが。

本当の親だって、我が子を抱きしめたいほど愛していても、できないこともあるだろう。そんな気持ちは、どう仕舞い込んでいるのだろう。

子供も悲しいが、親も哀しい。

ベビーカーの赤ちゃんが、以前よりも気になるのは、本能が少しは芽生えたということなのだろうか。


今日も、どうぞお元気で。


今日も、ありがとう。

前進。

突然の雨が降った東京です。

黒い雲がだんだん近づいてきて、風が強くなって、木々が揺れ、雷が光り、駆け抜けるように雨になった。

散歩をしようかなと考えていたので、雨降りになったのは残念だったけど、
ちょっぴり涼しくなり過ごしやすくなった。


お芝居の稽古をしていると、普段のリハビリがおろそかになる。台詞の練習はしているが、それ意外の言葉の訓練が足りなくなる。普段よりもいっぱい喋っているから良しとするのか、同じことばかりの繰り返しを停滞と考えるのか、迷う。結局、たくさん脳を使っているのだからと、言い訳のように自分を慰める。

新聞をチラと見たらば、「地道な取り組みが重要」という文字の下で、「やすんでくださいね」と、マンガの主人公が語りかけている。どちらも、響いてくる。

パラリンピックの選手たちほど、自分を追い込めない。


それでも一日は、終わる。


今日も、ありがとう。

イマジン。

真夏の暑さの東京です。

いつの間にか、夜になると蝉の声がしなくなり、代わりに秋の虫の音が、聴こえるようになった。

稽古場にいると忘れてしまうが、もう秋なのだ。僕は参加していなかったが、夏公演は終わり、秋公演の準備をしているのだ。

静かな夜、窓から入ってくるやや涼しい風に当たっていると、気持ちまでも安らかになってくる。

自然の中にいると想像してみよう。
広い場所に立っていると想像してみよう。
ひとりで立っていると想像してみよう。
大海原が見えると想像してみよう。
海の先を想像してみよう。
その先の土地で誰かと出会うと想像してみよう。
その誰かもずっと向こうからやってきたのだと想像してみよう。

手を握るだろうか。
何を話すだろうか。
言葉が通じなくても、いっぱい話すだろうか。
夜通し話すだろうか。

そして、それからどうするだろうか、


ふたりで歩いていくだろうか。



生きる希望を見つけるだろうか。



それとも、他の誰かを見つけるだろうか。



今日も、ありがとう。

ドラえもん。

強い日差しの東京です。

9月3日は、ドラえもんの誕生日だったらしい。100年後の昨日に生まれたらしい。昨日それを知った。うちの父も9月3日が誕生日。ドラえもんと一緒だったなんて、知らなかったよ。

『広くてすてきな宇宙じゃないか』
は、9月14日サンシャイン劇場で始まり、9月23日シアター・ドラマシティで終わる。

16日は父の命日。23日は僕と家内の結婚記念日。サポーターズクラブ20周年記念公演が、偶然身内の記念日と縁のある公演になった。

どんな公演だって、二度と同じように繰り返すことができない唯一無二な特別なもの。記念日だって、同じ日はやってこない。

苦しくても辛くても、再びやってくることがない日々を、しっかり懸命に生きてゆきたい。


今日も、どうぞお元気で。


今日も、ありがとう。

みどりのように。

時折、雨が降ってくる東京です。

雨が降らないと植物も、人間も渇いてくる。

植物がすごいのは、雨が少ししか降らなければ、その少しでやっていこうとするところだ。

もう枯れかかっている枝から、緑の葉っぱが出てきたりする。突然、お花が咲いたりする。

人間にも、同じことが起きるだろうか。

叩かれて、打ちのめされて、それでも笑顔を忘れなければ、いいことがやってくるだろうか。

この世界が、同じ法則でできているなら、きっといつかその日がやってくるのだろう。

人間は、それを疑い。植物は、ただ信じている。

賢いと言われる頭脳を持ったゆえの、哀しさ。

ただ信じることの、単純さと難しさを感じる。

何にもない空き地に、いつしか植物が生え、やがていっぱいになる度に思うのだ。

強さとは、疑わないことではないかと。


今日も、ありがとう。

学べる。

降水確率が100%の東京です。

段ボールをガサゴソしてたら七年前の手帳が出てきた。ちょうど『広くてすてきな宇宙じゃないか』をやった年。

その稽古の頃を読み返してみたら、
読み合わせの最初の日に「一場、
二場。声がかれた」と書いてあった。

今回の稽古初日の読み合わせでも、
やっぱり二場で声がかれた。

まったく学習していないじゃないかと笑ってしまった。

押入れとか段ボールとかを整理していると、「どうしてこんなものを買ったのだろう」ってことが何度もある。
趣味の悪いもの、役に立たなそうなもの、無駄なもの。

けれど、その時は必要だと思ったのだろう。欲しいと思う理由があったのだろう。

カバンもたくさん出てきたが、いずれも黒やグレーのもので、どんだけシックにしたかったのかとあきれた。

現在気に入って使っているものも、いつかはそう思われる日が来るのだろうか?

何を考え、なぜ行動したのか、その時の気持ちや心情、風景を記しておくのは、大事なことなんじゃないかと思った。

なにも今の自分だけで生きていくこともないのだ。過去の自分からだって学べるし、自分の道はずっと続いているのだから。

昔の自分をすっかり忘れちゃうのは、ちょっとさみしいものだ。


今日も、どうぞお元気で。


今日も、ありがとう。


讃えたい。

二週間振りの雨が降っていた東京です。

パラリンピックのダイジェスト番組を観ました。解説は、柔道銀メダリストの小川直也さん。

ダイジェストだから、初日の競技を、少しずつしかやらなかったけど、やっぱりおもしろかった。柔道は、組み合ったまま始めるんですね。

そして、小川直也さんの解説が、よかった。柔道の解説が丁寧だし、他の競技を観た感想が、実に明るくさわやかなんですよね。アナウンサーの方が「小川さんは、さきほどからすごいすごいって何度も仰ってます」と言うくらい、素直に驚いているのが伝わってきました。

やっぱり選手たちは、すごいんですよ。どんな国の代表でも、金メダリスト以外の選手は、必ず負ける。でも、負けても素晴らしい。

オリンピックは、いろいろ進化しちゃって、ルールがわかりにくくなっていたり、勝つことが単純に喜べない時があったんです。パラリンピックでは、試合が終わった時に、相手選手や競技を敬う精神が、より感じられたんです。

負けちゃっても、すごいことに変わりはないんだから。すごいことを、すごいと讃えたい。


今日も、どうぞお元気で。

今日も、ありがとう。

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